きょうもそのひぐらし

今日もあなたに適当な日々を。

幕の内弁当が苦手な話

ブログの開設

ついにブログなるものを始めてしまった。なぜかと聞かれてもこればっかりは魔が差したとしか言いようがない。まあこれも一種の流行り物でもあるとは思うし流行に乗らずに側から冷笑するのもまた一興ではあると思うけれど、先日のW杯にせよなんにせよ、にわかとしてそこはブームに乗っておくというのもまた一興ではあると思う。

・・・まあ、調子に乗って専門家気取りの発言をして有識者に叩かれることがなければの話であるが。実際すべてにおいて"にわか"でありたいというのは自分の信念の一つでもある。まあこの話について詳しくはまたいつか別の機会にでもするとしよう。

 

ところで、このブログでは一切の他人に影響を与える何かについての発信をするつもりはない。また、書いてある内容は私の頭の中では関連していることがおおいが、特にそこらへんを解説する予定もない。私は思いついたことを書き、あなたは時間を無駄に浪費するだけのものである。そもそもこんな私のページにわざわざアクセスする人なんて物好きしかいないので、そこらへんを前提として記事を書いていいのはwin-winといったところであるかもしれない。Twitterと違って長文で何を書いても怒られない場所というつもりでこの空間を作ったのであるし、読みたい人が読みに来ればいい。

などと言ってはみたものの、手荒な歓迎なんてものをするつもりはもちろんない。読んでいただけるせめてもの感謝として精一杯の読みやすさへの努力は尽くすつもりであるし、一字一句推敲してから世の中に送り出す所存である。

 

 

さて、せっかくブログを開設したので少し自分のことについて話すとしよう。私は自分のことをなんの取り柄もない凡人であると思いながら日々自堕落な生活をしているが、まあこんな自分でも小さい頃から人と違うなぁと実感する点はある。

 

 

 

 

幕の内弁当が食べられない

そもそも幕の内弁当とはどのようなものであるかというと

幕の内弁当 - Wikipedia

のようなものである。わざわざリンクを貼るまでもないほどには日本においてポピュラーな、いわゆるお弁当であろう。なかなか定義が曖昧なところもあるようなので改めてここでは数種類のおかずとご飯が入ったお弁当ということにしておく。

とにもかくにも小さい頃から幕の内弁当が完食できない、もはや少しトラウマになるくらいには幕の内弁当が苦手である。特に思い出深いのは小学校のころのサッカー少年団で、遠征に行く時は必ず昼ごはんが幕の内弁当であった。まあこれに関してはなんの変哲も無い風景である。ただ、好き嫌いがなく特に少食でもなかった自分としては、なぜ毎回1〜2品ほど残してどうにも箸が進まなくなってしまうのか不思議で仕方がなかった。もちろん直接的な原因としては満腹になったからなのだが、どうも満腹になるような量を食べたとも思えない。小学生の私はもはや感情としては食べきれなくて情けないとか悔しいを通り越して、冷静な分析を試みていた。

 

 

 

 夏休みの宿題

 ところで、みなさんは夏休みの宿題は好きであろうか。まあ夏休みの宿題自体が好きだった人はおそらく相当な変わり者であり、今頃東京大学にでも通って日々勉強に邁進していることであろう。

 

www.rbbtoday.com

 

小学生のときに「好きだった夏休みの宿題」「今やるとしたら好きな夏休みの宿題」を聞いたところ、ともに第1位「漢字ドリル」、第2位「計算ドリル」であることがあきらかとなった。

これが統計的に有用かどうかはこの際置いておいて、なんと世の中の人間はドリルが好きらしい。ドリル系が一番嫌いである私にとって、この結果はなかなかに興味深い。まあ漢字ドリルは新しい漢字を学ぶ際に反復練習が必要であるという考えに反対ではないので許そう。計算ドリルは今でも存在意義が本当に分からない。たくさんのできるとわかっている計算を処理させて計算ミスを誘発するだけのものであり、人間にやらせるものではないと私は思っている。

 

とはいえかくいう私もただの1生徒であり、宿題はやらなければ怒られてしまうので渋々8月32日あたりに回答を書き写していた。これを一気に書き写していると不思議なもので途中に謎のテンションが上がる時間がある。いわゆるランナーズハイに似たものであろうか。進捗図的には大体こんなグラフになるであろう。これ自体はただのハイパボリックタンジェントのグラフなので目盛は置いておいて、横軸を時間、縦軸を進捗だと思っていただけるとありがたい。終わりが見えてくると途端にやる気が減衰していることがよくわかる。

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ちなみにこのグラフはなかなかよくできていて、1に漸近はするものの1にはならない。最終的に最後の1ページを残したまま翌日まで遊び当日学校に着いてから焦るところまでをよく表している

さて、この調査ではポピュラーな話題である夏休みの宿題をいつ終わらせるか問題についても触れているが、世の中の人間の過半数が夏休み終盤に奮闘していたようだ。実際のところなぜこうなるかという点に関しては宿題があるかどうかに関わらず任意の人間にとって夏休みは遊ぶためにあるので夏休みは遊ぶからというトートロジー的な理由ではあると思うし、私の体験談も含めそれ以上でもそれ以下でもない気がする。 

 

 

年の終わり

夏の終わりの話をしたので年度の終わりの話でもしよう。年度の終わりといえばいわば別れの季節、旅立ちの季節である。自分がお世話になった先輩の引越しの手伝いに1時間分の労力を割くことを考えてみよう。お世話になった度合いは人によって多かれ少なかれあるだろうが、よほどひねくれた人間でなければそこまで苦しいことではないだろうと思う。

では先輩が卒業するので30人に一言ずつコメントを書かなければならない場合を考えるとどうなるか。1人当たりにかかる時間が平均2分だとして合計では1時間分であり、先ほどのものとあまり変わらない。ただこの作業をするにあたって私は30枚というゴールがすぐには見えない作業に目がくらみ、取り掛かり始める段階で既にHPの5割を持って行かれている気がする。情報系の単語で表すとするならレイテンシが大きいとでも言えようか、なかなかに生きづらいアビリティである。

 

 

 

終わりに

沢山の種類のものが少しづつ出てくる一般的なホテルの夕食も幕の内弁当と同じ理由で苦手である。私が根本的に性格を変えない限りこの苦悩は今後も続くのであろうか、、、